魚への情熱が導いた多彩なキャリア:魚のスペシャリストとしての道のり

魚への深い愛情と豊富な経験を持つ私のキャリアについて、これからの私自身のキャリア形成や棚卸という面でも役に立つなと思い、ここに記します。

※特定の企業、団体、個人名、土地については伏せております。読み進めてご興味湧いた方はお問い合わせなどから連絡ください。仕事のお問い合わせも同様にお願い致します。

始まりのはじまり

まずなぜ魚に興味をもったか

きっかけは小さい頃に毎年行っていた家族旅行です。毎年海水浴へ行き、シュノーケリングや釣りなどで海の楽しさを知り、生き物への興味が深まっていきました。

はじめて海岸から釣りをして、シマイサキをダブルヒットさせた時の感動は今でも忘れていません。釣り自体は結局好きにはならず、釣った魚がなんだろう?シュノーケリングで見たあの青い魚はなんだろう?と図鑑で調べたりするほうが好きな少年時代でした。

魚への情熱の始まり

中学時代の海水魚との出会い

少年時代からの流れで魚は相変わらず好きでした。実家には金魚がいましたが、海水魚を飼育してみたい。でも難しいだろうなぁとなかなかチャレンジできない自分がいました。

あるとき『ファインディングニモ』というカクレクマノミが主人公の映画がピクサーから出されました。その映画を見た時にカクレクマノミがイソギンチャクに入っている水槽が欲しい!!と凄まじい衝動にかられたのを覚えています。

中学2年のクリスマスに両親にお願いして、当時近くにあった熱帯魚ショップに行き約1万円(30㎝キューブ)の海水魚飼育セットを購入しました。

この時に始めた海水魚の飼育は、私の人生を大きく変えるきっかけとなりました。美しい熱帯魚たちの世話をする中で、魚の生態や海洋環境に対する興味が日に日に深まっていきました。

難しかった海水魚の飼育

約20年前の海水魚飼育は今に比べるととても難しく感じました。1万円のセットだけでは物足りずバイトで稼いだお金はほとんどが生体か器具、本などに消えました。毎週のようにショップに行き、違うショップを見て勉強し、海水魚の本はほぼ全て買って知識を入れる。とても楽しかったですが飼育がうまくいっているという実感はありませんでした。

毎日魚を見て、試薬などで水質を測り、水槽の状態を確認し日記を書きました。いきなり元気だった魚が次の日に亡くなるというのが信じられず自分の飼育技術の無さに悔しい思いをしました。しかし20年も海水魚飼育を経験してわかったのはやはりあの魚自体に問題があったのだなぁと思います。

カクレクマノミはニモの影響もあってか人気がありその需要を満たすため、薬物採取などで獲られる個体も多かったと聞きます。なかなか長期飼育ができずに当時かなりの数の魚たちを死なせてしまいとても悲しい思いをしました。(現在に比べブリードものは少なかった)

生き物や生態系に負荷をかけずに楽しめるような世の中にしたいですね。

高校時代

高校時代になると水槽を大きくしたり、ウツボを飼育してみたり更に海水魚にのめり込みました。ダイビングはやったことがないけど海水魚見たさにダイビングの雑誌を買ったりしていました。

また、高校生の時は今はなき某有名ショップに毎週のように通っていました。今思えば近くで色々な魚が見れるとてもいい時代でした。

ウツボは当時めちゃめちゃハマっており、数種類のウツボが家にいました。ある時学校から帰ってきて家の水槽を見るとウツボがいなくなっていました。どこを探してもいない。ふと下に目をやると床に息も絶え絶えのウツボが、、。すぐに水槽に戻すと生き返りました。ちなみにこれが2日続けてあったので蓋の上に重しを乗せることになりました。ウツボの生命力の強さには感動しました。ちょうどこの頃にウツボの咽頭顎も発見されてましたね。

魚への情熱は進路選択にも影響し、最初はアクアリウムを学べる専門学校にしようかと思ったのですが、色々な進路相談を経て水産系大学への進学を決意しました。

水産系大学での学びと仲間

大学に進学ともに一人暮らしを始めました。右も左も分からず友達ができるかなと心配を他所にすぐに大学生活には慣れていきました。

大学では、魚類学や海洋生態学、水産資源管理など水産食品学や水産増養殖学など水産に関する幅広い知識を習得しました。海や生き物に関する様々な授業があり勉強もとても楽しくできました。体育ではセーリングやカヌー、潜水など普通はやらないことが経験できたのは貴重な経験でした。潜水の能力に長けていることにも気づかせてくれました。

海洋生物の採集から飼育、展示、研究を行うサークル、ダイビングサークルにも所属し、学園祭では古着屋の企画出展なども行いました

大学生活で一番の収穫次の見出しに書くことと、海や魚が好きな仲間がたくさんできたことです。

自分で言うのもなんですが、入学時は魚などの知識はかなりある方だと思っていました。ですが入って驚いたのは自分の知らないことを知っている奴らがいっぱいいることでした。私は海水魚(特に熱帯性の海産観賞魚)が好きでしたが、淡水が好きな人、珊瑚が好きな人、海獣が好きな人、エビが好きな人、水槽を30個くらい持ってアパート1個を水槽部屋にしている人、深海魚が好きな人、サメが好きな人などなど、本当に似たような分野でも違うものが好きなんだなぁと多くの人に感心していました。共通して同じような話ができ、知らないことも教え高めあえる素晴らしい仲間に出会えたことが大学生活での一番の宝物になってます。ちなみに今でも大学の友人に会ったら魚の話が多いです。中学高校と魚の話ができる人が周りにいなかった私には本当に天国みたいな最高の環境でした。

*学生時代の話はまだまだ色々あるのですが書ききれないので割愛します。

グローバルな視点の獲得

フィリピンでの養殖研究

学生時代に、フィリピンに留学し、東南アジア漁業開発センター養殖部局(SEAFDEC/AQD)で養殖技術について学ぶ機会を得ました。この経験はグローバルな視点で水産業を捉える力を養うとともに、養殖技術を実体験するとてもいい機会になりました。初めての海外、言葉も違う、日本人もいないという環境で学ぶということの難しさを学生の時に経験したことが大きな自信に繋がり人生において多大な影響を与えたことは言うまでもありません。

留学経験については別途リンクを参考にしてください。

水産業界へ

ここからは社会人としてのキャリアです。

超一流企業とかに就職してバリバリのキャリアというわけではないのはご承知の上で、私の強みは一貫して『魚』ということになります。

私の魚人生のキャリアを二つに分けると、社会人の前がアクアリウム時代社会人からが水産時代となります。

私の社会人キャリアは、水産業界の様々な分野にわたっています。

キャリア

  1. 漁師としての経験: 定置網での操業。網直し、船上での締め作業、一時生産の現場で働き漁獲の実態や課題を肌で感じました。
  2. 商社での勤務: 国際的な魚(甲殻類)の取引、検品、市場動向、政治、入庫や出庫業務
  3. 流通業務: 主に飲食店向けのサプライチェーンマネジメント業務。物流センターの管理者をメインに水産バイヤーも兼務。データログを使った保冷段ボールの開発など
  4. ウェブライター魚専門の本屋さんでのwebライター経験、Wordpressを用いたブログ作成
  5. 魚屋での10年間: 店長として経営マネジメント、マーケティングなど幅広い業務を担当しました。
  6. 自宅での繁殖カクレクマノミ他、海藻類、販売も行う。

魚屋での多彩な経験

店舗運営とマネジメント

魚屋での10年間は、私のキャリアの中でも特に重要な期間でした。店舗の立ち上げから経営管理、店舗マネジメント、全ての面に携わる機会を得ました。自分の店だと思いながら、色々なことをやり当事者意識を持って数値には反映させてきました。立ち上げて失敗、立ち上げて軌道に乗らせる、どちらの経験もあるのは強みです。

地域に根ざした魚屋づくり

地域の特性を理解し、イベントの企画実行、お客様のニーズに合わせた品揃えや販売方法を工夫しました。何事にもチャレンジする気持ちは本当に大事だと実感しております。また、その人から買いたくなるようなファン作りに欠かせない接客もとても大切です。

低利用魚の価値向上

あまり知られていない魚種の価値を見出し、販売方法や食べ方、見せ方を試行錯誤し低利用魚の需要を高め、浜値の向上にも貢献しました。生産者の方がちゃんと儲かるような仕組みづくりに少しでも貢献できたことが嬉しかったです。(漁師も経験しているので生産者さんのありがたみをよく理解しています)

メディア対応とプロモーション活動

多様なメディア出演

テレビ、雑誌、ラジオなど、多数のメディアに出演し、魚の魅力や調理法、選び方などを紹介してきました。これらの経験は、魚に関する知識を一般の方々に分かりやすく伝える力だけでなく魚の楽しさも一緒に伝える努力をしてきました。

SNS運用とマーケティング

時代の変化に合わせ、SNS(InstagramやLINE、FB)を活用した情報発信やマーケティング活動にも力を入れました。PDCAサイクルを回して日々の業務に取り入れていきました。自身でのブログサイト作成や委託でのWebライターとしての情報の発信も行っております。

講演活動と知識の共有

シーフードショーや学校での講演お魚捌き教室

魚の売り方や流通に関する講演を行い、業界の発展に貢献してきました。特に、次世代を担う学生や子供たちに水産業の魅力を伝える機会は、非常に意義深いものでした。講演時に使用した魚を帰り際に子供たちに見せたらすごく喜んでいました。

お魚捌き教室ではマンツーマンレッスンから数人で行うものなど、定番の魚やお好みに応じてアレンジすることも可能です。

IPO経験と経営視点の獲得

IPO(株式公開)経験は、ビジネスの新たな側面を学ぶ貴重な機会となりました。IPOまでの道のり、予算管理、投資家対応など、経営者としての視点を養うことができました。

またIPOを目指すベンチャーの初期から参加していたこともあり業務の幅も広く、いる人間でやるの精神で色々なことをやれたこともありどんな仕事でもある程度にこなす自信もつきました。

最後に:魚への情熱が導いた多彩なキャリア

中学生の頃から始まった魚への情熱は、水産業界の様々な分野での経験を通じて、より深く、より広いものへと成長してきました。これらの経験は、単なる仕事の履歴ではなく、水産業界または魚業界全体を俯瞰できる独自の視点を形成しているのではと思っています。

また、海水魚の飼育で長年培ってきた知識や経験を水産と組み合わせることで新しいシナジーが生まれ新たなビジネスの発展にも貢献できると考えています。お魚コンサルティング業も様々な場面からアプローチ、ご協力できますのでまずはお問い合わせいただけるとありがたいです。

魚への情熱を原動力に、これからも新たな挑戦を続けていきます。

35歳、次は起業と事業創出、沖縄での地域おこし協力隊としてもっと魚や海のことを考え素晴らしい世の中にするため動き出しております!

最後まで読んでいただきありがとうございました!魚業界をもっともっと元気にするために応援いただけたら幸いです。

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